稲月神社(いなづき)
府中市広谷町
稲月神社(いなづき) 府中市広谷町に鎮座する。

この神社の縁起であるが、創祀されたのは承安2年(1172年)とされる古社だ。
この頃の天皇は高倉天皇で、この時期の元号はころころ変わっていて・・・こんがらがる。
高倉天皇の後は僅か2歳で即位した安徳天皇だ。
源平合戦の数年前で、正に嵐の前の静けさといえる時代だと思う。
祭神は天照皇大神、保食神(ウケモチ)、埴山姫神(ハニヤスヒメ)の3柱を祀る。
天照皇大神は言うまでもなく天照大神だ。
保食神は稲荷神で宇迦之御魂神と同一とされる。
日本書紀にはツキヨミが保食神の所へ行くと、保食神は、口から米飯や魚を吐き出し、それらでツキヨミをもてなした。
ツキヨミは「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬り殺してしまうのだ。
保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となった。
ツキヨミが保食神を斬り殺したことをアマテラスは怒り、 これが昼と夜に分かれた理由という。
一方、埴山姫神は粘土の神だ。
イザナミがカグツチを産んで火傷を負い苦しんでいるときに大便から産まれた神である。
ちなみに小便から産まれた神は罔象女神(ミズハノメ)という。何からでも神は産まれる・・・。
罔象女神に付いては福山市郷分町に鎮座する、草木地区の氏神「奈良神社」の祭神がこの女性神である。奈良神社と併せて後ほど紹介したい。

拝殿は桟瓦葺き三間社入母屋造りで一間の軒唐破風向拝を持つ。
凄いのは本殿だ。
一間社千鳥破風付きの入母屋造りで向拝は軒唐破風が付く。
屋根は広島県神社誌によると檜皮葺と記されているが銅板葺きに変えられている。
小柄な社殿ではあるが床下の木組が凄い。
まるでパズルのように組んである。
万治3年(1660年)に社殿が造営されたとあるが今ある資料では特定できない。
自分の目で見てみたい本殿だ。
拝殿
本殿
神楽殿

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