岡山神社(おかやま) |
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福山市神辺町道上 | |
岡山神社 福山市神辺町道上に鎮座する。
神辺町道上に標高37mの亀山丘陵があり、ここに弥生時代の古墳が二つある。 また備後地方の初期農耕生活を示す村の跡も古墳を取り巻くように発掘 され「亀山弥生式遺跡」として広島県の史跡に指定されている。 この丘陵西側に岡山神社は鎮座する。 縁起は大同元年(806年)岡山県備中吉備津神社から備 後吉備津神社へ勧請する際、ご一行がこの地に一泊され、その後へお社を建て一宮大明神として祀られたとある。 大同元年は備後吉備津神社の社伝縁起と当たる のだが、備後吉備津神社は延喜式(905年)への記載はないのだ。 そればかりか備後吉備津神社の名が最初に史料に出てくるのは、久安四年(1148年)に 京都祇園社が備後吉備津宮を寄進したとする八坂神社の記録なのだ。 これ以前に存在したことを示す証拠はどこを捜しても出てこない。 府中市に置かれた国府と 備後一宮吉備津神社、しかしその創建はいつなのか謎に包まれている。 こちらの創建が岡山神社にも影響する。 大正二年に旧村内の小社をここに合祀し、翌年に は十九軒屋の村社田中神社も合祀された。 よって祭神は多種多様だ。 吉備津彦はもちろん孝霊天皇、日本武尊、相殿神としては八幡神、素戔嗚尊、菅原道真、住 吉三神、稲荷神、オオヤマツミ、カグツチ・・・。 現在の本殿は大正三年に合祀されたときに補修されたもので、備後では珍しいとされる三間*三間の入母屋造 りで一間吹きはなちの外陣を持つ。 坪生町の神森神社と同じ建築様式だ。 屋根は平成二年に銅板へと葺き替えられている。 小高い丘の上の遺 跡は広場となり桜もたくさん植えられていた。 江戸時代に上山守の当島八幡神社から万能倉八幡神社へ勧請したときの様子が記録として残っていて、井上新一著 「駅家今昔」に紹介されている。 勧請(かんじょう)とはどういった儀式で行われていたのか非常に興味深い。 |
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参道と拝殿 | |
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本殿 | |
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地図 |