岩明神社(いわみょう) |
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福山市横尾町 | |
岩明神社(いわみょう) 福山市横尾町に鎮座する。
祭神は日本武尊だ。 古事記には「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と記される。 ヤマトタケルは第12代景行天皇(けいこう)の息子で、第14代仲哀天皇を息子に持つ。 景行天皇に命令され刃向かう熊蘇成敗に出向く。 熊蘇の親分である熊襲建の宴会に女装して紛れ込みこの兄弟を切り殺した。 古事記ではこの熊蘇成敗に成功した後に出雲を回って纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)へ帰るが、日本書紀には九州から穴海で邪神を成敗し難波を経て都に帰っている。 この穴海で活躍した伝説がこの地に残っているのだ。 芦田川を挟んだ羽賀八幡神社にもその伝承が残り、新市町には文字通り日本武尊神社が鎮座する。 山野町の岩屋権現(式内社・多祁伊奈太伎佐耶布都神社)にもその伝説は残る。 正に穴海とはこの地である。岩明神社の創建は不明であるが、ヤマトタケルの腰掛け岩をご神体として祀られている。 この山は横尾山といい、山頂には盈進中・高校が建てられ、そこから下ればこの神社は近いが、私は横尾側の麓からヤマトタケルの腰掛け岩を楽しみに登ってみた。 山道を登るとまず最初に秋葉神社と天満宮が合祀された社殿が見える。 ここには昭和4年に太鼓が新調されたときの寄付者が張り出されていた。 その上には正一位大膳稲荷神社の社殿が赤い鳥居と共にあった。 そのワキに石鳥居が建てられ、ここからが岩明神社の参道だ。 石段を登りやっと見えた境内は思ったよりも広かった。 玉乗り型の狛犬は弘化3年の銘があった。 社殿は拝殿、幣殿、本殿を持つ。 一間社流造の本殿は桟瓦葺き。身舎柱は円柱を使い長押と頭貫で固定される。 柱上は連三斗が梁桁を支え、中備は蟇股を置く。 三方を高欄付きの縁が廻り奥は脇障子で止まる。 軒は二軒で、妻飾りは虹梁大瓶束である。 向拝は角柱を立て虹梁型頭貫で固定し、木鼻には彫刻が施され、連三斗が桁を支えて、身舎とは海老虹梁で繋ぐ。 ヤマトタケルの腰掛け石であるが、どれだかさっぱりわからなかった・・・。 小高い境内から西を見ると芦田川の向こうに同じ伝説を持つ羽賀八幡神社の鎮座する山が見えた。 |
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参道と石鳥居 | |
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拝殿 | |
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本殿 | |
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羽賀八幡神社方面 | |
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地図 |