式内社 備後國沼隈郡 「比古佐須伎神社(ひこさすき)」
福山市瀬戸町志田原
沼隈郡三座の内の一つ。
 神武天皇も神功皇后も瀬戸内海を重要視した。
朝鮮から九州エリアと大和纏向(マキムク)エリアが瀬戸内海で結ばれる。
そして鞆は古代から潮待ちの港として栄えた。そこに沼名前神社が一座。
海続きの松永湾沿いには縄文時代の遺跡が数多く残り、中世になっても近くに今津本陣が置かれた重要な地域に高諸神社が一座。
この比古佐須伎神社がこの地に置かれた理由はなんだろうか。

 もとは彦山(430.1m)山頂付近に鎮座していた。
今はグリーンラインを挟んで熊ヶ峰(437.9m)と肩を並べる。
高さを比較すれば熊ヶ峰に劣るのだが、なぜ彦山に鎮座したかはわからない。
海に面した熊ヶ峰側は海神が重要で、瀬戸や熊野辺りからは神宿る山だったのかも知れない。
明治29年9月に県知事の許可を得て麓の現在地志田原地区に遷座された。
こちら側が表参道となっていたのだろう。
祭神は由緒書きによると「ヒコホホデミ」となっている。
これは別名「山幸彦」と親しみ呼ばれ、兄海幸彦の釣り針を無くし探しに行った海宮で海神「オオワタツミ」の娘「トヨタマヒメ」と結婚した話は有名だ。
そして「ウガヤフキアワセズ」を出産。
「ウガヤ」君は母「トヨタマヒメ」の妹「タマヨリヒメ」に育てられ、後に叔母「タマヨリヒメ」と結婚し「カンヤマトイワレヒコ(神武天皇)」を産む。
天つ神の血脈をつないだ重要人物である。
「ヒコホホデミ」のお父さんは天孫(アマテラスの孫)「ニニギ」お母さんは「オオヤマツミ」の娘「コノハナサクヤヒメ」だ。

 しかし、祭神を「ヒコホホデミ」としているが、特選神名帳によると「信じ難し」となる。
式内社調査報告では祭神は「彦狭島命(ヒコサシマ)」としている。
この人は吉備津彦のお兄さんだ。
こちらの方がこの地の式内社としてはふさわしいような気がするが、今更変更は出来ない・・・。藩政時代は水野、阿部家共に崇敬を受け、色々な武具などが奉納されているが、今はそれら全ての所在は不明となっているようだ。
社地、社殿共に綺麗に整備されていた。
旧社殿跡は彦山に残っているらしい。
機会があれば登ってみたい。
「式内社」の石柱
石鳥居
拝殿
本殿

大きな地図で見る
地図