春日神社(かすが)
福山市春日町能島
春日神社(かすが) 福山市春日町能島に鎮座する。

広島県神社誌によると、坪生荘に属し、平安時代藤原氏の所領だった頃の創祀と伝えられると記されている。
弘治3年(1557年)正月に社殿を造営された棟札の写しがある。
寛永19年(1642年)、福山藩主水野勝成により、灌漑用の溜池として造られた春日池は、この社名にちなんで命名された。
境内の由緒書きによると、奈良の春日大社の分社だそうだ。
奈良市の式内社春日大社の祭神は、武甕槌命(タケミカヅチ)と経津主命(フツヌシ)、それに藤原氏の祖神である天児屋根命(アマノコヤネ)と比売神(ヒメカミ)を祀る。
この場合のヒメカミとはアマノコヤネの妻の天美津玉照比売命(アマノミツタマテルヒメ)である。
この四柱が藤原氏の守護神とされる。
この春日神社の祭神も春日大社と同一である。
タケミカヅチとフツヌシは出雲国譲り神話に登場してくる。
タカミムスビとアマテラスは出雲を手に入れるために何人もの天神を派遣するが、すべてオオクニヌシに同化されて失敗していた。
業を煮やしたアマテラス達は、最後の手段としてタケミカヅチとフツヌシを派遣する。
この二人は凄く強い。
オオクニヌシの息子コトシロヌシは国を譲ると宣言し海に消えていった。
もう一人のタケミナカタはタケミカヅチに勝負を挑んだ。
結果は勝負にならず、軽くひねられて一目散に逃げ出した。
出雲から諏訪湖まで逃げたタケミナカタは、この地から一歩も出ないから命だけは助けてくれと懇願し、そこに社を建てて隠れてしまった。
これが長野県諏訪大社の縁起である。
アマノコヤネはニニギと共に天孫降臨した神で、藤原氏(中臣氏)の祖先とされる。
オオクニヌシは出雲を差し出したが交換条件として自分の社を建てさせた。
これが出雲大社だ。
オオクニヌシ、コトシロヌシ、タケミナカタの出雲神であるが、みな天神に国を奪われ恨みを持っているのだ。
そして祟り神として恐れられた。
伝染病が横行すると、それは出雲神の祟りとされ、鎮まってもらうために各地に出雲神を祀ったのだ。
今では出雲大社は縁結びの神として有名であるが、実際は、祟る恐れられた神なのだ。
実際に、第11代垂仁天皇の息子、誉津別命(ホムツワケ)は口がきけなかった。
占ってみると出雲大神(オオクニヌシ)が祟っているという。
奈良から出雲に参拝し、やっとしゃべるようになった。
その行程は、奈良から瀬戸内海に出て吉備穴海(福山市新市町)で上陸。
そこから陸路出雲へ参拝している。そして、ここでも紹介した品治別神社が鎮座している。

社殿は、「流れ造りの本殿には繊細な彫刻が施されている」と紹介されているが、風化防止のためか板で囲まれ、見ることは出来ない。
春日大社なら春日造りにこだわって欲しいところだ。
石鳥居
拝殿
本殿

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