神田神社(かんだ)【式外社】
福山市駅家町向永谷栗江
式外社 神田神社(かんだ) 福山市駅家町向永谷栗江に鎮座する。

起貞観二年正月,盡十二月 二月壬午朔,三日甲申,春日祭如常 廿八日己酉、授備後国、正六位上、大蔵神、神田神、並従五位下

上記は日本三大実録に記された備後国神田神の記載部分だ。
860年2月28日備後国の正六位上だった大蔵神と神田神に一つ上の従五位下という神階が授けられた。
大蔵神は先に紹介した福山市駅家町今岡に鎮座する大蔵神社が、そして神田神はここで紹介する向永谷栗江に鎮座する神田神社がそうではないかといわれている。
少し前に訪ねてみたが集落が無くなった山中にひっそりと鎮座していた。
先に紹介した高倉神社は、ここの東に位置し、赤坂に通じる峠道沿いに創建されていた。
西側の谷は南に進むとやはり赤坂に通じるが、この神田神社の道は山中で途切れる。
この地に当時の朝廷から神階を授かった神社があるとは想像できない。
祭神は五男三女神。
これはアマテラスとスサノオの両者によるウケイにより化生した。
五男を紹介すると、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)天之菩卑能命(アメノホヒ)天津日子根命(アマツヒコネ)活津日子根命(イクツヒコネ)熊野久須毘命(クマノクスビ)で、三女神はみなさんよくご存じの多紀理毘売命(タキリビメ)市寸島比売命(イチキシマヒメ)多岐都比売命(タキツヒメ)・・・宗像三女神である。
天之忍穂耳命(オシホミミ)の息子がニニギでアマテラスの孫にあたり天孫降臨神話に主役として登場する。
天文22年(1553)に甲斐四郎左衛門正敏が社殿を再建、それ以後は氏子の手により現在まで維持されてきた。
いま建つ社殿は大正12年に再建されたものだで、当時は檜皮で葺かれたようだが、昭和10年10月本殿を改築された記念碑が境内にあり、この時に銅板に葺き替えられたのかも知れない。
本殿は一間社流造、三方を縁が廻り、奥は脇障子で止まる。
身舎と向拝は海老虹梁で繋がれ、虹梁型の頭貫の木鼻は象鼻が飾られる。
向拝の組み物は連三斗。
しっかりした本格的な社殿だと思う。
境内の入り口には式外社の石柱が建っていた。
本殿の横には龍王神を祀った龍田神社が鎮座する。
神田神には強力なライバルがもう1社ある。
それは、福山市芦田町柞磨に鎮座する神田八幡宮が同じ神田神を名乗っている。
石鳥居と式外社の石柱
拝殿
一間社流造の本殿

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