倉神社(くら) |
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福山市加茂町下加茂 | |
倉神社(くら) 福山市加茂町下加茂に鎮座する。 神社誌によると創建は承保元年(1074年)とされる古社だ。 その後焼失したが、天文年間(1532−55年)に神辺城主杉原忠興が再興。 棟札によると、寛文二年(1662年)本殿を再建したとある。 管茶山は「福山志料」の中で屯倉の跡としている。 古くは社領五十五貫を持っていたが毛利氏により三十六貫に減じられ、福島正則により没収されている。 屯倉(みやけ)とは大和政権が直接支配した地方の土地のこととされ、「日本書紀」巻六垂仁天皇二七年辺りから以降、屯倉という言葉は検索できる。 垂仁天皇二七年は西暦紀元前3年をいう。 また、社領を表す「貫」であるが、普通は重量に用いる。 しかし、鎌倉時代・室町時代には、田地の面積は、その田で収穫することのできる平均の米の量を通貨に換算し「貫」を単位として表された。 江戸時代には、知行高は支給される米の容積による「石」(石高)で表されるようになった。 祭神は「おきつひめのみこと」「大巳貴命(大国主命)」「五十猛命(いそたける)」「蒼稲魂命(うがのみたま)」「小彦名命(すくなひこ)」の五柱。 「大巳貴命」と「小彦名命」は二人で出雲の国を造った神、「蒼稲魂命」は穀物の神で稲荷神、「五十猛命」はスサノオの子どもで日本に木を植えた神、「おきつひめのみこと」は「奥津比売命」かもしれない。 だとするとこの女神は台所にある「竈(かまど)」の神だ。 社殿は拝殿、幣殿、本殿を併せ持ち、本殿は三間社入母屋造、縋向拝付き。銅板葺き屋根だ。 |
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石鳥居と参道 | |
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本殿 | |
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地図 |