小烏神社(こがらす)
福山市鞆町
小烏神社(こがらす) 福山市鞆町に鎮座する。

この神社は沼名前神社の境外社で、創建は室町時代とされる。
南北朝時代にその名を馳せた足利尊氏(かたうじ)や足利直冬(ただふゆ)にまつわる史跡がある。
太平記によると直冬は「直冬と申は、古へ将軍の忍て一夜通ひ給たりし越前の局と申女房の腹に出来たりし人」と紹介されている。
将軍とはもちろん尊氏のことであるが、尊氏は直冬を認知しなかったとされる。
しかし、尊氏と協力して政治を行っていた弟である足利直義(ただよし)に養子として迎えられた。
小烏神社の由緒書きには中国探題とあるが、これは長門探題のことで、養父直義の計らいで長門探題へ赴任したのだ。
この時直冬は鞆大可島城にいたとされるから、それを中国探題と称したのかも知れない。
尊氏には高師直(こうのもろなお)という執事がいて直義は高師直と対立するようになる。
直義が高師直に敗れ隠居したことを知った直冬は高師直を討つため鞆で軍勢を整えた。
これに対して尊氏と高師直はこれを迎え討ったのだ。
これを「小烏の合戦」という。
この戦いに宮兼信と杉原利孝等が高師直の命を受け参戦したとある。
備後の武将達もこぞって参戦し、まさに骨肉の争いが激化した時代だ。
その時代に刀剣鍛冶が活躍した。
そしてその技術は素晴らしい進歩を遂げた。
備前の福岡一文字派、備前長船派の光忠、備中国の青江一派らが注目されるなかで備後でも鞆派が存在した。
この鞆刀剣鍛冶と小烏神社はしっかりと繋がっている。
小烏神社の祭神は小烏大神と天目一箇神(アマノメヒトツカミ)の二柱。
子烏大神は資料に出てこないのでよくわからないが、天目一箇神はまさしく刀匠そのものである。
アマテラスの神話時代に登場する神で、日本書紀には天目一箇神、爲作金者(金物を作る)。古語拾遺には天目一箇神、種々の刀・斧・鐡鐸を作らせたと記されている。
刀剣鍛冶が片目をつむる仕草、または火の粉を浴びて失明するということから「一つ目」と称される。
鞆の刀剣鍛冶達から崇敬された神社だと思って間違いない。
今でも鉄鋼業が盛んな鞆である。
拝殿
本殿

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