三島明神社(みしまみょう)
福山市津之郷町夕倉
三島明神社(みしまみょう) 福山市津之郷町夕倉に鎮座する。

祭神は大山積神(おおやまつみのかみ)相殿神として足利義昭が祀られている。
大山積神は伊予大三島「大山祇神社」より勧請したとされる。
相殿に祀られた足利義昭は室町幕府最後の第15代将軍で、津之郷町にはその足跡が残る。
永禄11年(1568)織田信長に擁されて15代将軍に就任したが、5年後の天正元年(1573)には信長と対立するようになる。
義昭は、甲斐の武田信玄らの活躍で信長を追いつめるのだが、頼りの信玄は持病が悪化し、武田軍は甲斐に引き返す途中、信濃国駒場(長野県下伊那郡阿智村)にて病死してしまう。
信玄が死ぬと一気に信長の反撃が始まり、義昭は信長によって京都から追放され室町幕府は事実上幕を閉じるのだ。
天正4年(1576)2月、福山市鞆の浦に毛利輝元を頼ってやってきた。
信長に対して越後の上杉謙信や石山本願寺が挙兵すると、輝元は村上水軍の力を借りて織田水軍を破り本願寺に兵糧や弾薬の援助に成功した。
しかし、天正6年(1578)3月13日、こんどは謙信が急死。
11月には鉄甲船を用いた織田軍の水軍に一度は勝利した村上水軍であったが敗北し、戦況は逆転してしまう。
鞆から再びの上洛を夢見ていた義昭の夢は叶わなかった。
その後、熊野町の常国寺に3年、津之郷の御殿山には5年間居住したとされる。
近くには義昭を祀った惣堂神社が鎮座する。
御殿山は現在は御殿畑と呼ばれ、御台所(正室)の社も津之郷にあった。
三島明神社や惣堂神社は本来は海際にあり大山積神を祀った神社だ。
津之郷も「津」が使われているように備後国沼隈郡内でも有数の港町であった。
社殿は昭和58年に火災で焼失。
昭和60年に現在の社殿が再建された。
本殿は三間社入母屋造で本瓦葺き。拝殿は五間社入母屋造で向拝は軒唐破風だ。
本殿と拝殿を繋ぐ幣殿の屋根は、本殿向拝から拝殿屋根に接続されて一体化された権現造りとなっている。
この神社では、福山市無形文化財に指定されている「ひんよう踊り」と「はね踊り」が秋祭りで行われている。
参道と石鳥居
拝殿
本殿 社殿は鉄筋コンクリートで造られている

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