三蔵稲荷神社(さんぞういなり) |
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福山市丸之内 福山城背 | |
三蔵稲荷神社(さんぞういなり) 福山市丸之内に鎮座する。
この神社は、元は三河国刈谷城下にあった。 水野勝成の祖父忠正が、その地に京都伏見稲荷を勧請し創祀していたものを元和6年(1620)勝成の福山城築城に際して刈谷の地から遷座させ、福山城の守護神として勝成により祀られた神社だ。 三蔵という社名の由来は、阿部時代に藩のご用金を福山から江戸に運ぶとき、これを隠れるように守護した一人の武士がいて、無事に江戸に着いた時に名を訪ねたら、福山城背に住む三蔵であると答えたという。 それから城背の 稲荷さんを三蔵稲荷と称するようになったという説がある。 また広島県神社誌には明治44年に明治町にあった練兵場内の三蔵稲荷を合祀。 大正7年には西町の 吉寿稲荷と福山稲荷を合祀している。 水野時代には何と称されていたのだろうか。 手持ちの資料ではわからなかった。 境内には昭和19年に両社宮(福山八 幡宮)にあった江戸時代末期の能舞台が移設されている。 祭神は宇賀御魂神(ウガノミタマ)、猿田彦神、大宮女神(オオミヤノメ)の三柱だ。 ウガノミタマは スサノオの子で穀物神。全国に存在する稲荷神社の主祭神はこの人だ。 別名は保食神(ウケモチ)とも称される。猿田彦(サルタヒコ)は天孫ニニギが降臨して きたときに道案内をした道祖神。 オオミヤノメは、京都伏見稲荷大社にウガノミタマと共に祀られており、市の守り神として祀られる商売繁盛の神だ。 昭和12 年に新築された拝殿は入母屋造で桟瓦葺き。向拝は二軒の向唐破風。 柱上は三斗組が置かれ虹梁や梁を支える。 中備は蟇股が置かれる。 奥に建つ二間社流造の本 殿は、ガラスで覆われ中が見えず、残念ながら建築様式は確認できなかった。 |
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西参道に建つ石鳥居 | |
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拝殿 | |
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地図 |