青瀧神社(せいりゅう) |
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神石高原町父木野 | |
青瀧神社(せいりゅう) 神石高原町父木野に鎮座する。 現地の由緒書には「清瀧神社」と記されていたが広島県神社誌には「青瀧神社」と表記されている。 祭神は大物主命・火産霊命(ほむすび)・大山祇命・金山彦命・大年神の五柱が祀られている。 大物主はオオクニヌシで、火産霊命はカグツチ。 金山彦命はイザナミがカグツチを産んで大火傷を負いもがき苦しんでいるときに、その嘔吐物から化生した神で、鉱山の守護神とされる。 大年神は稲荷神と同じ田の神で、大山祇命は大三島の大山祇神社の主祭神で山の神である。 娘のコノハナサクヤヒメは天孫ニニギと結婚した。 創建は貞和年中(北朝1345−50)に瀬原城主杉原氏が山城国醍醐寺より清瀧明神を引待峠に勧請し創祀した。 その後現在地に遷座したが寛永2年(1625)火災で社殿は焼失。 明暦3年(1657)村田佐兵衛、江村善右衛門、江村市兵衛が小祠を再建。 正徳2年(1712)村田元右衛門、同儀右衛門、江村善七郎らが本願主となり現在の本殿を再建した。 正徳2年当時の氏子数は父木野の宗兼、中郡、荒鍔、丸山、郷、重入と常光の高所、亀石、黍原を含んで230戸ほどあったとされるが、現在は父木野と常光高所、亀石、黍原で120戸ほどである。 醍醐寺から勧請した清瀧明神は清瀧権現と称され、真言密教を守護する女神で醍醐寺の守護神だ。 南北朝「貞和年中(北朝1345−50)に瀬原城主杉原氏」とあるが、これについては要を得なかった。 参考 広島県神社誌 正徳2年(1712)に再建された本殿は三間社平入り入母屋造で、前方一間分は吹き放ちの外陣となる。 内陣柱は円柱を使い外陣は角柱が使われる。 銅板葺き屋根正面には千鳥破風を造り、一間の向拝は軒唐破風を設ける。 長押は内陣まで打たれるが頭貫は外陣の角柱まで通る。 柱上は出三斗、総ての柱間に蟇股を置く。蟇股の上には捨斗をずらりと並べ、長押と頭貫の間、欄間の羽目板には彫刻が施されている。 軒は二軒繁垂木で、外から見える外陣の天井には格天井を張り、天井板には色彩豊かな絵が描かれている。 頭貫の木鼻といい、三斗組の拳鼻、羽目板や蟇股など素晴らしい彫刻がひと際目立つ。 参考 広島県の神社建築 |
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石鳥居 | |
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第ニ石鳥居 享保19年(1734)に建てられたが、平成16年に襲来した台風23号で倒壊。翌年再建された |
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本殿 | |
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地図 |