惣戸神社(そうどう)
福山市南蔵王町
惣戸神社(そうどう) 福山市蔵王町総戸山に鎮座する。

福山市津之郷町に鎮座する三島明神社、大門町に鎮座する崇堂神社(そうどう)、そして蔵王町に鎮座する惣戸神社はすべて同系の神社とされて、その祭神はオオヤマツミだが、広島県神社誌に記載された祭神はどういう訳かすべて異なる。
共通して言えるのは、その鎮座地がかつては海際に祀られ、海の安全をこのオオヤマツミに求めたとされる。
今回紹介する蔵王町惣戸神社もかつてはこの辺りまで海であった。
しかし、広島県神社誌に記載されたこの神社の祭神は早良親王(さわらしんのう)だった。
早良親王は奈良時代末期の人で、第50代桓武天皇は兄に当たる。
785年に桓武天皇の信頼の厚かった藤原種継が暗殺されるという事件が起きた。
平城京から長岡京への遷都を希望した桓武天皇に命じられ、その造営現場での出来事だった。
首謀者として10名が処刑され、この中に実の弟である早良親王も含まれていた。
絶食してまで無実を訴え続けた早良親王は、淡路へ送られる途中で亡くなった。
この後、桓武天皇の息子が発病、またお后が病死するなど、これらは早良親王の祟りとされ、これを鎮めるために御霊信仰が発生し、上御霊神社に早良親王は祀られた。
そんな早良親王とこの蔵王町惣戸神社との繋がりは不明である。
社殿は昭和61年に再建された妻入り桟瓦葺き切妻造の本殿の前に、平入り切妻造の拝殿が建つ。
参道石鳥居の前には「もやい石」と称される石がある。
元和5年(1619)に備後福山藩を拝領した水野勝成は、鞆の津から神辺城に入るべく深津湾に船を進めてこの「もやい石」に船を繋ぎ上陸した。
勝成の第一歩がこの地だった。
石鳥居
拝殿

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