椙宮八幡神社(すぎのみや)
福山市山野町山野
椙宮八幡神社(すぎのみや)福山市山野町山野に鎮座する。

縁起であるが暦応元年(北朝年号1338年)地頭、宮左衛門佐則氏が京都男山八幡宮(石清水)を山野田曽(カガソ)というところへ勧請し八幡神を創祀した。
その後、現在地に遷座したとある。
宮氏といえば後の志川滝山城が有名で、南北朝後の戦国時代、天文二十一年(1552年)毛利対尼子の戦いで、尼子方に付いた宮氏はこの滝山城で毛利元就軍の総攻撃を受け全滅したのだ。
毛利方の戦死傷者も226人を数えたというから壮絶な戦いだったのだろう。
滝山城城主宮入道光音は、城を捨て逃げたのだが、ついに郷分町で追いつかれ切り殺された。
現在、光音の墓は郷分町山陽高速道路脇の郷分八幡神社下へ祀られて、今でも地元の人により供養されている。
椙宮八幡神社も宮氏の勢力だった。
それまで壮大な社領を有していたが、毛利氏の支配となり没収された。
特筆すべきはここの本殿である。
元禄三年(1690年)に再建された平入りの三間社入母屋造りで銅板葺き屋根。
軒唐破風の向拝を持つ本殿はしっかりと現存していた。
ただ、写真でもわかるように2006年に屋根板は全面的に改修され、他の部分とは不釣り合いになってしまったが、地元の、後世にこのお宮を残そうとする気持ちは十分に伝わってきた。
拝殿
本殿

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