鞆城跡
現地看板より

鞆城跡

福山市史跡指定 昭和51年7月13日

戦国時代、瀬戸内海の要所、鞆港に面して築かれた海城です。
16世紀初頭、備後を領有した尼子氏に対抗して、鞆の浦を根拠地にしていた毛利元就が天文年間(1532〜55)に築城したと推定されています。
元亀四年(1573)、織田信長によって京都を追われた最後の将軍、足利義昭は鞆城に入り、城は拡充されました。
毛利氏は直轄地として、次々に鞆城代を置きました。
慶長五年(1600)、安芸備後に入封した福島正則により再築城されました。
鞆港より三の丸、二の丸、本丸に追手門から上がる梯郭式で、東は福禅寺まで、北は搦手門へと下り沼名前神社の参道までの広大な縄張です。
元和六年(1615)の一国一城令によって取り壊されましたが、水野、阿部時代には町奉行が置かれました。
現在、郭、帯郭、土橋、枯山水、石垣、掘等の遺構が残っています。
天正年間以前の石垣は自然石を積みあげた「野面積み」、天正年間以後のは、小石をはさみ表面を揃えた「打込みハギ」、江戸初期のは切石で表面を揃えた「切込みハギ」で、毛利、福島時代の石垣が散見されます。

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