松永上之町共同井戸
現地看板より

松永上之町共同井戸

福山市史跡指定 昭和56年2月10日

江戸時代のはじめ本庄重政の指導により大規模な塩田開発がおこなわれ「松永」が形成された。
干拓のため飲料水は不足がちで、水筋のよいこの山すそに共同井戸が掘られた。
江戸時代の掘削以来上之町・中之町・下之町をはじめ多く松永の人びとに上質の飲料水を供給し土地の人びとは鍛冶屋川の名で親しんでいる。
井戸は径4.2m深さ4.9m花崗岩の石積による胴張円形で豊かな水量六角形に組んだ低い井戸側広い井戸端など干拓地松永の人びとにとってかかわりの深い貴重な井戸である。

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