水野勝成墓

水野勝成墓

広島県史跡指定 昭和18年3月26日

水野勝成は徳川家康の従兄弟にあたる人物。
三河刈谷城主水野忠重の嫡子として生まれ、猛将として名を馳せる。
後に水野家を出奔し全国を放浪するが、父・忠重の死去により三河刈谷三万石を継ぐ。
関ヶ原の合戦、大坂の役で手柄をたて大和郡山六万石を与えられた。
その後、福島正則の改易に伴い西国鎮守の使命を受け、備後十万石の藩主となり福山城を築城、城下町の発展に努めた。
慶安4年(1651)88歳で没、賢忠寺に葬られた。
墓は高さ5.1mの五輪塔です。

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