宮の前廃寺跡
現地看板より

宮の前廃寺跡

国史跡指定 昭和44年5月27日

この寺跡は、現在の八幡神社参道をはさんで、右手に塔跡、左手に金堂跡を配した、いわゆる法起寺式の伽藍配置で、出土の軒瓦文様から、奈良時代創建の寺院と考えられる。
早くに焼失したらしく、江戸時代の郷土史書には「往、古海蔵寺といふ寺有、富村の生土八幡は海蔵寺の鎮守なりしとぞ、則海蔵寺の廃跡八幡の境内にありて、礎、今に残れり。」とあり、その寺名と礎石の存在を伝えている。
発掘調査により、塔、金堂の土壇が検出され、特に、塔跡東側と北側のせん積基壇は、よく遺存していた。
また、各種の蓮華文軒丸瓦や同心円文軒丸瓦、唐草文軒平瓦が多量に出土し、せん仏残欠、金具類、土師器、須恵器等も遺存していた。
特に、「紀臣和古女」「栗栖君」「粟麻呂」等の人名を刻した文字瓦が、塔跡土壇北側から出土している。
この廃寺跡付近は、深津市の跡として市村の地名をとどめ、古代に栄えた国府外港としての市場集落跡である。
塔 跡
金堂跡

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